昔の話/数学と国語の思い出(2013.02.14)


 私は小学生の時から中学受験を経験した。最初は京都でも有名な算数特化難関塾に通ったが、
 そのあといろいろ事情があって総合学習塾に通った(その事情についてはすでにこの「省察」で書いた)。
 塾通いのおかげか、京都の立命館中学に合格してそこに入ることになった。
 当時の京都市内の中学校の偏差値がどんなものであったかはあまり知らない。
 もっと上の難関校もあったのであろうが、実はそんなことはあまり考えずに、親がここを受けろというので受験した。
 私の家は経済的にはそんなに裕福ではなかったので、授業料が安かったというのが主な理由だったのかも知れない。

 しかし立命館中学は京都市の中でそれなりに難関中学のひとつであったことは確かで、倍率は15倍くらいあったと記憶している(今はどうだか知らない)。
 なので、入学してきた生徒たちは、ちょっとした中学受験をくぐり抜けて京都とその近隣から入学してきた優秀な生徒たちが集まっていた。

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 そういうわけで、私だって頭の良い入学生の一人になったのだというそれなりの「自負」があった。
 しかし、その「自負」は簡単に打ち砕かれてしまった。
 その原因は(前にも書いたように)
数学であった。

 小学校までの「算数」と違って、中学校からの「数学」には、
「マイナス」という概念が登場する。そしてその加減乗除の練習が始まるのだ。
 マイナスの足し算引き算はまだ良かった。例えば「-2+6」の答えは「4」。
 マイナス2の状態に6を増やすと、トータルで差し引き4になる。これは分かる。

 いけないのは、かけ算と割り算であった。
 「-2×-6」とか「-9÷-3」。
 前にも書いたように、数学的計算というのは、パターン化してしまえば自動的に答えが出る。
 「マイナスとマイナス同士をかけるとプラスにする」などというように記憶してしまえば簡単なことである。
 しかし私は「マイナスにマイナスをかける」とか、「マイナスをマイナスで割る」といこと
それ自体の「意味」を考えてしまった。
 「マイナスにマイナスをかける」というのは、一体全体どういうことなのか? 
 それは何を意味しているのか?

 そんなこといちいち考えないでとっとと「マイナスとマイナス同士をかけるとプラスにする」でやればそれで終わりなのだ。
 でもそのことの「意味」を考え出すと、もう一歩も先に進めない。
 「マイナスにマイナスをかける?」「マイナスをマイナスで割る?」いったい何なのか?
 いくら考えても分からないのだ(実を言うと今でもよく分からない。
 その「意味」を分かりやすく説明してくれる人がいたら、その話を聞きたいくらいだ)

 かくして私は中学に入って早々に数学で挫折した。
 「ああ、数学嫌いの人間のいつものタワ事か」などと言わないで欲しい。
 それはその通りなのだが、中学1年生の当時の私はかなりこれに悩んだのだ。
 そしてそのうち数学においてその「意味」を考えることをやめてしまった。
 というか、その「意味」を無理矢理考えないように努力した。
 ただひたすらパターン化したやり方だけをなぞるように心がけた。
 因数分解、各種方程式、物理の法則などなど……

 こうして確かに計算はできるようになった。答えも出るようになった。
 しかし、中身を考えることなく、何かうわべの形を機械のようになぞっているだけという感覚はその後もずっと続き、
 結局数学は、私のその後の人生において、まったく興味のないものになってしまった。

 「興味のないものは一生懸命やらなくてもいい」という、この困った姿勢は、
 中学高校時代は「たとえ数学の試験でひどい点をとったところで、別に構わない」という信念に、都合良くすり替わってしまった。
 大学に行くと、いわゆる「専門」の世界になり、数学をはじめ、理科系の科目にはますます力を入れなくなった。
 大学に入って何がうれしかったかというと、数学を筆頭とした興味のない科目はやらなくても全然構わないということが、
 大手を振って「公認」されていることであった。
 一般教養科目としては理科系の科目も最低限何単位かは取らなければならなかったが、それはまぁヒドイものであった。

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 話を元に戻すと、立命館中学に入学して、もうひとつ驚いたことがあった。
 それは「国語」だった。

 私は算数・数学は全然ダメだが、国語には自信があった。
 小学校の時も、学習塾に通っている時も、国語に関してはいつも大変によい成績で、テストなども90点とか100点とかが普通であった。
 なので、立命館中学に入学して一番最初の第1学期の国語の中間テストで「75点」という点数を取った時には、かなりショックだった。
 私にとって
「75点」というのは、非常に悪い点数である。
 教室で国語の教師から採点された答案を受け取ってその点数を見た瞬間、足もとから世界が崩れていく感覚をおぼえた。
 しまった、なんということだ、75点だって? 
 これはとても親には見せられない、いったいどうしたらいいのか……。

 しかし次の瞬間、信じられないことが起こった。
 その国語の教師は私にその「75点」の答案を手渡す時にこう言ったのだ。
 「あー、ナカガワ君、いいよ君、このテストよく出来てるよ、なかなかいいよ」。
 私には何が何だか分からなかった。「75点」で「よく出来てる」だって???

 落ち着いて周囲の友人たちの答案を見てみると、みんな「15点」「30点」「20点」……。中には「5点」という者も。
 そこには、なんだこりゃあ?っていう「惨状」が繰り広げられていた。
 京都中から優秀な生徒が集まって来ている中学校なのではなかったのか、ここは?

 クラスの全員に答案を返し終わった国語の教師は次のようなことを語った。
 今回のテストは、君たちの入学最初の国語のテストである。なので、今回はあえて問題の内容を非常に難しいレヴェルにした。
 半分の50点取れてれば、とてもいい方である。これを出発点にして今後はしっかりと国語の勉強をするように……。

 入学したてのウブな中学生に、
最初の鉄槌を加える国語教師
 私は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、よく分からなかった。



 自分の中学・高校時代で「国語」というと、もうひとつ思い出すことがある。
 それは高校の1年生か2年生の時であったと思う。
 先生は小柄でかなり年配の、まぁいわば「おじいちゃん」であった。M 先生といった。

 ある日ある時、そのM 先生が、非常に力を入れて力説し始めた。
 「みなさん! この世に存在する、ありとあらゆる『文学』と言われるものの、唯一究極のテーマは、結局のところ『愛』なのです! 
 いいですか、『愛』なのです! 文学だけではありません! およそあらゆる人間の文化の究極のテーマは『愛』なんですよ!」

 おじいちゃん先生の高校の国語の授業なんて、まだ半分子どもみたいな若い高校生にとっては、普通は眠りそうなほど退屈なものであった。
 しかしこの日は違った。それは、ごく普通の、いやむしろきわめて退屈な、小柄なおじいちゃん先生というイメージとは全然違う姿であった。
 文学と愛について熱く語る小柄なおじいちゃん。
 自分には軽くショックであった。
 そして実はちょっぴり感動した。

 高校時代に勉強したことなど、今となってはたいして憶えていない。
 しかしこの「文学や文化の究極のテーマは『愛』なのだ」というメッセージだけは、鮮烈に今も記憶に残っている。
 そしてそのことを、M先生のように、たとえ歳を取っても熱く語れることの大切さも、長く自分の心に残っている。


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