昔の話/英語について(2014.02.16)


 前に書いたように、私は中高一貫校をへて、その上にある立命館大学文学部に入った。
 大学から見るといわゆる「付属生」である。
 付属中学や付属高校を持つ多くの大学でそうだと思うが、
 付属から上がってきた「内部」からの「付属生」は、一般入試をくぐり抜けて入ってきた「外部」からの入学生と比較すると、概して出来が悪いと考えられてしまう。
 「
付属生イコール出来が悪い」という図式。

 答えは簡単。入試がないからだ。
 たとえあっても内部進学者のための試験なので、一般入試よりはうんと易しいのが普通である。
 付属高校進学者は肩身が狭い。
 大学の教師も「ああ、付属ね、しょうがないな~まったく」と思うし、
 一般入試で入ってきた他の学生たちからも「ああ、あいつは付属だからな」なんて言われたりする。

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 しかし立命館の場合、そうした出来の悪い「付属生」だって、最初に中学に入ったときはとびきり優秀だったのだ。
 なんてったって競争率十数倍の中学受験戦争をくぐり抜けてきたわけだから。
 あちこちの小学校でも出来の良い部類の子どもたちが集まって来たのである。

 それが、中学3年間・高校3年間の都合6年間、言葉は悪いが入試のない「ぬるま湯」にどっぷりと浸かっている間に、どんどん出来が悪くなってしまう。
 これはまぁ仕方がないと言えば仕方がないのかも知れない。

 さて、私もそんな「出来の悪い付属生」として立命館大学に入った。
 そして一般入試で入ってきた「外部からの」学生たちの優秀さに驚くこととなった。

 それはそうだろう、立命館はまがりなりにも関西の私立大学の中では、当時から偏差値でトップクラスを形作る大学の一つであったから。
 学力という点で、彼ら彼女らはとても優秀であった。

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  なんと言っても一番驚いたのは大学の英語の授業であった。

 「出来の悪い付属生」である自分は、
 英文和訳の時などは、文章の単語を片っ端から辞書で調べなければならなかった。
 文字通り、ほとんど片っ端から、である。
 さらに単語の意味が全部分かったとしても、それでも日本語に訳せない。
 文法の知識も読解力も全然足りないのだ。
 まったくもって付属生の面目躍如といったところである。

 ところが、一般入試の受験戦争をかいくぐってきた「外部」の学生たちは、
 なんと、ほとんど辞書など引くことなく、すらすらと正確に訳していくではないか!
 こちらが突然指名されて単語の意味も分からず困っている時などは、こっそり小声で教えてくれたりした。
 彼ら彼女らは頭の中に
英和辞書がまるまる一冊入っているのではないかと疑ったほどだ。
 かくして圧倒的な差を見せつけられる状態で、2年ほどがたった。

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 出来の悪い「立高生」(立命館大学では付属生のことをそう呼んだ)であった私も、
 3回生になるあたりから、さすがに「これではいけない」と思い始めた。

 しかも、そろそろ卒業後の進路も考えなければならない。
 自分には両手に軽い障害もあったので、普通の就職はいろいろとキビシイものがあるかも知れない。
 だから大学院に進学することも視野に入れるようになった。
 であるなら、どうしてもやはり外国語、つまり英語が出来るようにならなければならない。

 私は一大決心をした。徹底的に英語の勉強をやり直そう。
 単語を覚えて、文法をやり直して、とにかく訳せるようになろう。

 当時立命館大学の法学部は(今でもそうだろうが)、司法試験を筆頭に、各種の国家・地方公務員試験合格者を輩出する優秀なところであった。
 だから法学部の建物に行くと、そのての試験の受験勉強をする学生のための「
法学部自習室」なるものが作られていた(文学部にはそんなものはない)。
 そこには個人が勉強するための机が並び、法学部の学生たちが朝から晩まで勉強していた。
 中には自分専用の電気スタンドや小さな本棚とかを持ち込んでその机を「占有」して勉強している者もいた。
 誰もおしゃべりなどしない。シーンとして緊張が張り詰めていた。

 私は春休みだか夏休みだか(今となっては正確に思い出せないが)、この法学部の勉強室に通うことにした。
 文学部の学生だって言わなければ誰にも分からないし、誰もそんなことを気にしていない。
 私はここに毎日通って、文学部の英語文献講読の授業のテキスト(ドイツ中世史の研究論文だった)に何時間も取り組んだ。

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 最初はまず自分で訳してみる。
 全然訳せない。単語の意味を全部調べても訳せない。

 次に、その授業の教師が訳した訳文をひたすら書き取っていたので、それを見て、なぜこの文章がそういう訳になるのかということを考える。
 最初のうちは、どうしてそういう訳になるのかが分からない。
 高校時代の英語の文法の教科書や、英語の受験参考書なども持って行って調べる。
 形容詞、副詞、関係代名詞、現在分詞、過去分詞、分詞構文、不定詞……。
 ひとつの文章に1時間とか2時間とかかかったこともあった。

 そうか、これが主語で、ここに過去分詞が後ろからかかって、ああそうか、これはなんとかという構文か、
 あれ? この「that」はなんだ? こんなところに「to」があるぞ、あれ?なんで名詞が二つ並んでるんだ? 
 なるほど、関係代名詞が省略されてるのか、あれれ? この「ed」の付いた単語はなんだ? ここからが目的語か? わけが分からんな~。 
 とまぁこんな調子をひたすら毎日続けた。

 同時に、大学の3回生にもなろうかというのに高校生のように単語帳を作り、
 有名な『試験に出る英単語』(シケ単)を買って、英単語の暗記をした。

 さて、そうやって2~3ヶ月すると、さすがに読んで訳せるようになってきた。
 その結果分かったことは、英語を読むコツは、
 
結局のところ文章の中の「修飾関係」をいかにすばやく正確につかみ取るかにかかっている、ということであった。
 それは、単語や前置詞や分詞や関係詞といったものを介した、一種の係り結び(修飾関係)の網の目なのだ。
 それらを全部取り除けば、文章の構造は、基本的には「主語+動詞」だけなのだ(もちろんそれに目的語とかも加わるが)。

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 ずいぶんと遠回りをして時間がかかった。
 しかしようやく一般入試の「外部」学生に追いついたと思った。
 彼ら彼女らと、英語の試験の時など、普通に構文や訳文についての細かい議論をするようになっていた。

 そして4回生を迎えた頃であった。英語講読の授業とかで、突然気がついた。
 あれだけ優秀であったはずの、周囲にいる「外部」学生たちが、全然英語が読めていないのだ。単語も知らない。
 とてもあの同じ学生たちだとは思えなかった。
 思い切って聞いてみた。
 君たちは、大学に入った頃は、辞書もなしであんなにスラスラ訳してたよね? 
 なんでそんなに読めなくなったの?

 返ってきた答えはこうだった。
 大学受験の時に予備校とか行って、短時間に大量に詰め込んだものは、同じくらい短時間に消えてしまうんだよ……。

 まるで「
アルジャーノン」に出てくるような言葉だった。

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 文学部の私が、英語のやり直しのために法学部の勉強室に通っていた時、
 その部屋の奥の方で、こちらに背を向けて朝から晩まで勉強していたひとりの女子学生の後ろ姿が忘れられない。
 六法全書を横に置いて、法律の受験問題集か何かをたくさん積み上げて、何時間もずっと勉強していた。

 文学部の勉強嫌いの私がすぐに息抜きしたくなって途中で喫茶店なんかに行って帰ってきても、
 その彼女はその間もじっとひたすら勉強していた。
 
毎日毎日同じ場所でただひたすら勉強していた。

 その彼女の背中を見ながら「ああ自分はからっきしダメだなぁ」と思った。
 彼女はいまどこでどうしているのだろうか?
 どこかで裁判官とか弁護士とかになって、活躍しているのだろうか?
 あるいは官僚とか役人として働いているのだろうか?
 法学部の勉強室のことが、あれから30年近くたったこの頃、なぜかとても懐かしく思い出される。


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