昔の話/学生時代のアルバイトについて(2013.05.10)
多くの大学生と同じように、私も学生時代にはいろいろとアルバイトを経験した。
その中でも、最も過酷であったのは、「祇園祭」のアルバイトであった。
大学の学生課のアルバイト紹介掲示に「祇園祭」というのを見つけて申し込んだ。
「これはなかなか京都っぽいな。お祭りを、見る側ではなくて、
主催側のスタッフとして参加するのは、普通では経験できないことだ」と思った。
そして、確かにそれは普通では経験できない過酷な経験となった。
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京都の祇園祭のハイライトは、誰もが知っているように「山鉾(やまぼこ)巡行」である。
あの10トン近くある山鉾を、20人だか30人だかの人間が引っ張るのだ。
大学で紹介された祇園祭のアルバイトというのは、この山鉾の引き手であった。
引き手は町内の住民とかボランティアとかもいるそうであるが、
自分がやったあの時は(あるいは少なくとも自分が担当した山鉾は)、ほとんどが学生アルバイトであった。
←祇園祭・山鉾巡行イメージ(写真提供:京都デザイン)
「コンチキチン」という祇園囃子(ぎおんばやし)とともに、
乗り手のかけ声のオッチャンが「それぇー、前にぃ進めぇー」と声をあげる。
何十人の引き手が「えい、やっ」と引っ張るが、最初はびくとも動かない。 ホントに全然動かない。
「何やっとんじゃあー! もっと真剣に力一杯引っ張れやー!」と乗り手のオッチャンたちに怒られる。
何十人もの引き手が、一瞬の時に渾身の力を合わせて全力で引っ張ると、ようやくギシギシと音を立てて動くのだ。
これを1日中続けるのである。
市内の中心部を、何時間もかけて回ってくる。しかも真夏の京都の猛暑の中で。
死ぬかと思った。
全力で引っ張り続けながら、古代ローマ帝国の奴隷って、まさにこんな感じだったんだろうな、と思った。
1日が終わってくたくたに疲れ果てて、5千円くらいもらって帰ったと記憶している。
祇園祭の引き手のバイトは、一度はやってみたいと思ったが、二度やろうとは決して思わなかった。
確かに祇園祭に参加して、多くの見物人や観光客に見られる側に身を置くのは、それはそれで貴重な経験ではあったけれど、
古代ローマの奴隷の気分を味わうのは一度で十分であった。
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この時の山鉾バイトでよく憶えていることがある。それは「ポカリスエット」である。
山鉾をギシギシと引っ張りながら、河原町御池まで来た時のこと。少し休憩時間となった。
河原町御池の交差点に大塚製薬特設ブースみたいなのがあって、
そこで、まだ発売してから日の浅い「ポカリスエット」の試供品を無料配布していたのだ。
休憩時間、くたびれ果てていた古代ローマの奴隷たちは、そこに群がった。ひとくち飲んでみた。
私は思った。「なんだ、この奇妙な飲み物は!」
水のようで水でない、ジュースのようでジュースでない、甘いんだか甘くないんだかよく分からない。
実に奇妙な飲み物なのだが、疲労してノドがカラカラのこの体に、無限にしみ渡っていくようではないか! もう1本くれっ!
私はこの「ポカリなんとか」という、名前までヘンな飲み物の缶を5~6本立て続けに飲んだ。
そして、引き手のバイト仲間と「これはいったい何なんだろうね」みたいな会話をした。
「スポーツドリンク」などという概念がまだない(というかようやく出始めた)時代の話である。
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お正月の三が日に、京都東山の蹴上(けあげ)にある有名な老舗の和食料亭でアルバイトをしたこともあった。
やはり大学の学生課の窓口で友人と一緒に申し込んだ。
最初の日にその店に行くと、アルバイト学生が何人も集まっていた。
店の人事担当係みたいなおっちゃんが、それぞれのバイト学生の仕事の担当を、
「はい、あんたはこの係ね、その次のあんたは、えー、そっちの仕事ね」みたいに次々とその場で決めていった。
そのおっちゃんは、私の姿(正確にはカラダ、いやもっと正確には両手)をジロジロと見た後、
「えー、あんたはナカガワ君ていうのか、はい、あんたは洗い場ね」。
おそらく「見た目」という意味で、お客の目にあまり直接触れるところはダメだと思われたのだろう。
自分でも、まぁ仕方ないなと半ば思った。
それから正月の三日間、私はひたすら朝から晩まで皿洗いを続けた。
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正月三が日の京都の老舗料亭の混みようといったら、それはもうハンパではない。
ものすごい数のお客さんが押し寄せる。
洗っても洗っても、下げられてきた器(うつわ)がすぐに山積みになる。
最初は皿や器をていねいに洗っていたのだが、厨房のおばちゃんに「何やってんねん、もっと要領よう、ちゃっちゃか洗わなあかんやないか!」と怒られた。
なので、かなりすっ飛ばしながら(悪く言うとスピード第一にして手を抜きながら)適当に手早く洗うワザを身につけた。
そうしたらそのうち、そのおばちゃんに「あんた、上手になったな~」とホメられた(笑)。
一日中洗い場で皿洗いをすると、クタビレ果てる。
水と洗剤のために手の指の皮がブヨブヨになる。常に中腰の姿勢で洗い続けるために、ものすごく腰が痛くなる。
それを3日間続けた。
飲食店の裏の洗い場の仕事は大変なのだということを、つくづく思い知らされた3日間であった。
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最後の3日目のことであった。夕方になってようやく短い休憩時間になり、
やっとの思いで洗い場の外に、クタクタの体を伸ばして新鮮な空気を吸いに出た。
すると、どうだろう。
一緒にそのアルバイトに申し込んだ友人(彼は接客担当で、来店したお客さんを席まで案内する係だった)が、
やはり同じように案内係になったバイト仲間たちと、持ち場でヒマそうにノンビリとくつろいでカラカラと笑っているではないか。
それは決して休憩時間なのではない。客が来ない時は、案内係は実にヒマなのだ。
こちらはクタクタに疲れ果てて口もきけないくらいなのに、向こうはヒマにして楽しそうに笑っている。
これでバイト料は同じ金額なのだ。
彼の楽しそうな笑顔を、いまでもよく憶えている。
自分でも「ルサンチマン」のカタマリだとは思うが、やはりそう簡単に忘れられるものではない。
そしてあの時、私は思ったのだ。
「ああ、なるほど。世の中というものは、こういうふうに出来ているんだな。」
このまま何も考えずに普通に生きていったら、健常な人間には太刀打ちできない。
今回のようなことがずっと続くに違いない。
両手に障害がある自分は、体では絶対に勝てない。外見でも絶対に勝てない。
遅まきながら、大学生になってからこのことに気づかされた。
これはもう頭で勝負するしかない。
それからというもの、私は一生懸命勉強した。
たとえ「ルサンチマン」のカタマリであろうが何であろうが、
結果的には、この正月3日間の皿洗いのバイトは、貴重な経験であったと思う。
ああそうだ、今度この料亭に行ってみよう。30年以上たっているけれど。
うーん、でもこれってやっぱり「ルサンチマン」なんだろうな~。