フランス留学の思い出(1)(2014.01)
1987年8月の末からフランス(南仏のエクス・アン・プロヴァンス)に留学した。
この留学が、実は生まれて初めての外国経験であった。生まれて初めての海外が1年間の留学となった。
成田空港さえどうやって行けばいいのか分からなかった(当時はJRも京成も、空港線はなかった)。
知人にクルマで送ってもらった。
空港のレストランで出発前に食べたスパゲッティ(当時はまだ「パスタ」なんて言わなかった)が
ひどくマズかったことを憶えている。
1987年当時は、まだ「ソ連」の上を飛行機が飛べず、ヨーロッパ便はアンカレッジ経由だった。
しかも買った航空券が大韓航空だった(値段が安かった)ので、ソウル経由であった。
成田を出てソウルまで3時間くらい。乗り換えにやはり3時間くらいかかり、
そこからアラスカのアンカレッジまで11~12時間くらい、
さらにアンカレッジで給油のために2時間くらい飛行機をおりたあと、
再びパリまで11~12時間くらいかかった。
全部合わせると30時間くらいかかったのではないか。
それに比べれば、直行便12時間弱でヨーロッパに行ける今は、本当に便利になったと思う。
なったとは思うけれども、やはり12時間の飛行機はツライ……。
給油の間、アンカレッジ空港のロビーで時間を過ごす乗客たち(1987年)
とにかく最初の渡仏は、そういうわけで、飛行機に、
乗っても乗っても、寝ても寝ても、食べても食べても着かなかった。
そうしてクタビレ果てて、ようやくフランスにたどり着いた。
まもなくパリに到着ですという時に、飛行機の窓から下に見えたフランスの街の夜の景色は忘れられない。
オレンジ色の街灯が、まだ明け切らぬフランスの夜の街や村を照らしながら、眼下でまたたいていた。
「そうか、自分はこれからこの国で1年過ごすのか」と実に感慨深かった。
1987年8月29日(土)、ドゴール空港(当時はまだ第1ターミナルのみ)から、パリに近郊鉄道(RER)で入った。
早朝であった。
飛行機でたまたま一緒だった三重から来たという日本人の新婚旅行のカップルと一緒に北駅に着いた。
駅舎から少し出て街を見てみた。
初めてのパリの街は香水のようなニオイがした。
その新婚カップルの二人と「うわぁ、パリのニオイがしますね~」と会話した記憶がある。
確かにいいニオイがした。
今思えば、朝の街路清掃で撒いた路面洗浄水か何かのニオイだったのだろう。
でも日本では経験したことのない街のニオイであった。
その三重の新婚カップルとは北駅で別れた。
その後どうされているのだろうか? 三重で幸せに歳を重ねておられるのだろうか?
北駅に朝着いて、エクス・アン・プロヴァンスまで行く前に、パリに何日か滞在するので、
とりあえずまず滞在するホテルを見つけなければならない。
当時『地球の歩き方』が出始めて数年たっていた頃であった。
ようやく日本人の個人旅行者が『地球の歩き方』を手にして、ヨーロッパのあちこちを回り始めた頃であった。
日本人の若いバックパッカーもあちこちで見た。
『地球の歩き方』に掲載されているホテルは、個人旅行者の投稿による格安ホテルが中心であった。
「パリに泊まるなら、××ホテルにぜひ行ってみて!
リーズナブルな料金でとってもステキです! by 山田花子、1985年」みたいな感じ。
でも、よく考えると、みんな『地球の歩き方』を見て、そうしたホテルにまず行くわけである。
『地球の歩き方』に載っている「××ホテルにぜひ行ってみて!」というところから
真っ先に埋まっていくわけだ。何日も連泊する連中も多いだろう。
よせばいいのに、まだ若かった私も、やはり『地球の歩き方』を見てパリのホテルを探そうとした。
一番安くて良さそうなホテルは、サン・ミシェル、ソルボンヌ地区に多かった。
日本円で1泊2~3千円くらいだ。
そして、私が『地球の歩き方』を見て行ったサン・ミシェル地区のそのホテル(古くて安い)は、
まだ午前中だというのに、案の定、やはりすでに「コンプレ(満室)」だった。
「部屋ありますか」と聞く私に、受付に出てきた機嫌の悪そうなくたびれた年配のマダムは、
すごい早口で「ベラベラベラベラ」って何か言った。
なぜか私にはそれがよく聞き取れなかった。
たぶん「部屋は満室で無いよ」みたいなことだったのだろう。
でも何を言われたのか分からないのでそのまま突っ立っていたら、
いきなり「あんたはバカか? 部屋は無いって言ったら無いんだよ、他のホテル探しな」とキツイ口調で言われた。
悲しいことに、この「あんたはバカか?(Vous êtes fou? Ah!)」は分かった。
生まれて初めての外国の、生まれて初めてのフランスで、フランス人との記念すべき最初の会話が、これだった。
私は、個人的には、極端な話、フランスでは「パン1個買うのも、戦いだ」と思っている。
実は今でもそう思っている。
今まで約25年、ほぼ毎年フランスには行くが、基本的にこの認識は変わらない。
これは、今から25年前の、フランス滞在初日のこの経験で早々に身についたのかも知れない。
「バカか?」と言われた後、その周辺のホテルを片っ端からあたったが、すべて満室だった。
8月最後の土曜だったのが災いしたのかも知れない。
何時間も重い荷物を持って、歩き回った。
キツかった。
自分はなんという国に来たんだ、と思った。
結局、1泊1万円くらいの高い部屋を、サン・ジェルマン・デ・プレの「Hotel des Canettes」(今もある)に見つけて、
そこに3泊することになった。
まだ若くて金のない(というか、1年間の滞在のために、まだ金をそんなに使えない)自分には、
1泊1万円はとても高かった。
しかし単純なことだが、それなりに金さえ出せば、部屋はあるのだ。経済学の原理原則だった。
部屋に荷物を置いて身軽になって、パリの街に出た。
凱旋門が、エッフェル塔が、シャンゼリゼが、本当にあった。
変な話だが「うわぁ、まるでパリみたいだ」と思った。
そして街のパン屋で買ったバゲットがやたら美味しかった。
初めてのフランス留学がこうして始まった。
1987年8月29日撮影 フランス第1日目のParis