フランス留学の思い出(2)(2014.01)


パリで何日か過ごした後、留学先のエクス・アン・プロヴァンスに向かった。

オルリー空港からマルセイユ空港まで飛んだ。
マルセイユ空港からエクスの街に向かうバスが、今とは違ってものすごく本数が少なかった。
今はエクスTGV駅経由のシャトルバスが15分に1本出ている。
しかし当時は2時間くらいマルセイユ空港のバス停で待った。

やっと来たエクス行きのバスに乗った。そうしてエクスに着いたのはもう夕方だった。
1987年当時のエクスのバス・ステーション(Gare routière)は、
中央郵便局(PTT)の裏のだだっ広い工場の空き地みたいなところにあった。
しかも、文化の香りも歴史の雰囲気も、これっぽっちもない本当に薄ら汚い殺風景なところだった。

「プロヴァンスの歴史と文化の中心エクス」というイメージを抱いていただけに、かなりショックだった。
「ええー?こんなところで1年過ごすのか……? ホントに? うわぁこれはがっかりだな……」と思った。

しかしその大いなる失望は、すぐに大いなる希望に変わった。
バス・ステーションから中央郵便局を抜けてロトンドの噴水に出たら、
そこには、有名なエクスの大きな噴水と、そこから西へと続くミラボー通りの美しい伝統的な光景があった。
これぞ歴史と文化だ! 良かったヨカッタ! と心の底から思った。



とりあえず、たまたまロトンドの噴水のツーリスト・インフォメーションの隣に
「ホテル・サン・クリストフ(Hôtel St-Christoph)」を見つけて入った。
1階のレセプションの奥の部屋が空いていて、そこに落ち着いた。
それ以来、今でもエクスに滞在するときは、このホテルを使っている。
もう30年以上の付き合いである。
このホテルは、今はアール・ヌーボー調ということで、
何かそれなりにきれいでシャレているが(しかも3つ星)、
1987年当時はもっと古くて暗くて、2つ星のいまひとつさえないホテルであったと記憶している。
レストランも今とは違って狭くて暗かった。

エクスに着いた翌日、9月1ヶ月間のフランス語短期集中講座の登録に行った。
エクス・マルセイユ第3大学付属の「外国人学生のためのフランス語学院」
いわゆる「ランスティテュ」(
L'Institut d'Études Francaises pour Étudiants Étrangers)である。

前は旧市街の「サン・ソヴール大聖堂」の斜め前(23, rue Gaston de Saporta)にあったが、
最近になって外周環状道路(ペリフェリック)の南に移ったようだ。


23, rue Gaston de Saporta.

クラス分け試験と登録手続きが済むと、その場で下宿先を紹介された。
教えられた住所に行ってみると、そこはでっかい家で、
大家のマダムとそのまたおばあちゃんが2階に住む家の1階の部屋に案内された。
そしてマダムは、家賃とか部屋とか洗濯とかシャワーとか、
いろんなことを
まるで機関銃のようにすごいスピードで
ベラベラベラベラと一方的に説明して、とっとと行ってしまった。

そのマダムだけではない。
それからあと、銀行の手続きとか、滞在許可証の手続きとか、学校の手続きとか、
とにかくまぁ、ありとあらゆる場面で、相手のフランス人は、
こっちがその言葉を勉強しに来ているのだなどということは一切お構いなしに、
猛スピードでしゃべる。

こちらがまだそんなに聞き取れなかったりしゃべれなかったりするのだなんてことは、全然関係がない。
この会話が出来るくらいなら、わざわざここにこうして来てないよ」って感じだ。

そもそもフランス語は、ある一定のテンポ、スピード、リズムがあり、
それに「
乗る」ことが前提としてある。
逆にうまくそれに「乗る」ことが出来ないと、会話のリズムが保てないのだ。
やっかいな言葉である。

とにかく、正確には今なんの話をしているのか分からないけど、
とりあえずまぁ「ウィー、ウィー」みたいに答えるという、
ある意味で極めて日本人的なやりとりをいろんな場面でフランス人たちと続けながら、
最初の頃はただ毎日が過ぎていき、
1日が終わると、精神的にもグッタリ疲れたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

学校のクラスでは、最初はなかなか友人が出来なかった。
日本で生活している時も、ただでさえ、そんなに積極的に
ガンガン他人に陽気に話しかけていく方ではない。
まぁ平均的日本人は、みんなそんな感じなのではないか?
おとなしく控え目であって、初めて会った他人に
すぐに陽気に話しかけていくことの出来る日本人は、そんなに多くはないと思う。
自分もご多分に漏れず、そん感じであった。

ところが、他の国から来ている外国人留学生の若者たちは、
ホントに何のてらいもなく、会って30秒でお互いにどんどん友人になっていく。
なんであんなに、知らない人といきなり気安く話が出来て友だちになれるのか?
内気で恥ずかしがり屋(timide)である典型的な日本人の私はそう思った。

なので、初日はこちらから話しかけることも出来ずに、
クラスの中で一人孤独であった。
2日目も同じであった。
3日目もやはり同じであった。

3日目の夜、下宿の部屋で思った。

「いかん、このままだとますます孤独に陥ってしまう。
クラスのみんなはどんどん友だちになっていくのに、自分一人だけ取り残されてしまう。
この先、1年近くいるというのに、このままだとノイローゼになってしまう! 
これはまずい! まずいぞ!」

こうして内気な私は、一大決心をした。
明日からは、クラスに行ったら、とにかく会うやつ会うやつに、
片っ端から何でもいいから話しかけていこう!
男であろうが女であろうが、とにかく無理矢理にでもこちらから話しかけていこう!
そのために、話しかける会話の文章もあらかじめ用意して、
それをいろいろ回しながら、とにかく話しかけていこう!

これはもう
自分に課した強制的な「修行」みたいなものであった。
「やぁ、おはよう、こんにちは」
「やぁ、君はどこから来たんだい? いつまでこっちにいるの? 国では何をしてるの?」
「下宿はどのあたりなの? 買い物はどうしてるの?」
「この前の週末は何をしたんだい? 今度の週末は何をするんだい?」
「国に帰ったら何をするんだい? 将来の計画は? それはどれくらい難しいの?」

まぁこんな感じで手を変え品を変え、片っ端から話しかけることを自分に課した。
気恥ずかしいとか内気などという感情は無理矢理に封印して、とにかくそれを実行した。

相手がなんと思おうが、お構いなしに、それを実行した。


そうしたら、
その日のうちに、あっという間に友人が何人も出来た。
翌日以降も、どんどん増えていった。
これには自分でもビックリだった。ホントに驚いた。

「なんだ、簡単じゃないか!」

それまでの内気で孤独な自分がまるでウソのようであった。

  
   9月の短期集中クラスのクラスメートたち

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1987年9月1ヶ月間のフランス語短期集中講座は、
こうして毎日があわただしく、目まぐるしく過ぎていった。
とにかく新しいことばかりの連続で、フランスの生活や学校に慣れるだけで毎日手一杯であった。

新しく出来た友人たちと、いろんなところに遊びに行ったり、
食事したり、カフェでおしゃべりしたり、そんなことで日々が過ぎていった。


留学生活も2ヶ月目を過ぎる頃から、次第にフランス生活も慣れてきて、
今度は孤独がやって来た。
生活に慣れるだけで一生懸命の日々、新しい刺激に毎日目まぐるしかった日々が過ぎて、
外国での生活に、ある種の孤独感を感じるだけの「心の余裕」が生まれてきたということなのであろう。


学校が終わって、夕方下宿に帰る時。
毎日学食にとぼとぼと歩いて行く時。
夕暮れ時に、街を歩きながら、店のショーウィンドーを見たりしながらふと我に返る時。
夜のカフェに一人座って道行く人を眺めている時。
下宿の部屋で、一人で長い夜を過ごす時……。



下宿の壁に自分で作ったカレンダーを貼って、
毎日過ぎるたびに日にちの数字に「×」印をつけて消していった。
そしてそのカレンダーを見ながら、
「ああ、やっと今週も終わった。でもまだあと×ヶ月と×週間も残ってるな……」と思ったりした。
「早く日本に帰りたいな」などと思ったことさえあった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ところが、これまた不思議なことに、
フランスに来て半年くらいたった頃から、日本に帰りたくなくなってきた。
相変わらず孤独はいろんな場面で感じることはあったと思うが、フランス生活が楽しくなってきた。
カレンダーに「×」印をつけることも、いつのまにか、しなくなってしまった。
そして気がついたら
「ああ、あと×ヶ月で帰国か。帰りたくないな~。」と思うようになっていた。

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12月のクリスマスの頃、学校主催の「外国人留学生クリスマスパーティー」が開かれた。
講堂では、各クラスの出し物が演じられた。
歌を歌うクラスとか、お芝居をするクラスとか。楽器を演奏する留学生とか。
そうした出し物会の最後に、北欧スウェーデンから来ていた留学生グループが、
白い衣装を着て、キャンドルサービスでコーラスを歌った。
講堂の明かりをすべて消して、ローソクの光だけで聖歌を歌いながら行列で入場し、
最後には「サンタ・ルシア」を歌った。
講堂に詰めかけていた留学生たちは、みんなその光景に見入った。
そして私はこの時「ああ、自分はこの留学に来て本当に良かった。
いろいろあったけれど、今なんて幸せなんだろう」と思った。


スウェーデンからの留学生グループによる《サンタ・ルチア》

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