フランス留学の思い出(3)貧乏旅行について


1987年~1988年のおよそ1年間のフランス滞在では、私はかなり貧乏生活をしました。
留学資金はそんなに潤沢ではなかったので、なるべく節約・倹約に努める日々を過ごさなければなりませんでした。
留学中の食事は、昼と夜は、たいてい学食でした。とにかく安い。1食200円くらいです。
そして夕食の時には、取り放題だったパン(バゲットを短く切ったもの)をスーパーのレジ袋にたくさん取って下宿に持ち帰ります。
もちろん
翌朝の朝食のためです。なので、毎朝の朝食は事実上タダでした。
ただし、ひと晩経ってすっかり固くなったおいしくないパンなのですが。

学食は総じてあまり美味しくありません。
ナイフでいくら切っても切れない固い肉とか、よく覚えています。
でも、この安さでは、仕方ありません。
若かった私は、それでもまぁそれなりに美味しいと思って、毎日通いました。
でも、驚くほど美味しいものが出て来る時が、時々はありました。

学食は、食材を買って下宿で調理するよりは手間も全然かからないし、値段的にも安上がりでした。
レストランで外食などは論外です。外食はとにかく高い。
下宿から学食まで歩いて片道30分、往復1時間かかりました。そこに毎日毎日こつこつ歩いて通ったのでした。

学食が閉まる日曜日は、
「フランチ」(flunch)という、フランス人なら誰でも知ってるセルフ・レストランに行きました。
そして一番安いものを食べます。ステーク・アッシェだけ、とか。300円切るくらいだったでしょうか。
「カジノ・カフェテリア」(Casino Cafétéria)というセルフも近かったので、よく行きました。
サラダとパンだけで250円くらいです。飲み物はもちろんタダの水道水でした。

エクスのフランチ。いつもお世話になりました。ほとんど「わが心のふるさと」です。

この「フランチ」は、独身の低所得者とかもよく利用します。なので、夜とかに行くと、いつもそこで食べている客がいます。
今ではメインの料理を頼むと、付け合わせは取り放題ですが、当時はそうではありませんでした。
なので、そういう人たちは、1回のメインの皿に、てんこ盛りのフリットとか付け合わせを盛ってもらって食べていました。
ああ、この年配のムッシュは一人暮らしで毎日ここに来て食べてるんだろうな~なんて思いました。
なんかフランスの寂しい人間模様の光景です。

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学校には、外務省から派遣された留学生も何人かいました。
いわゆる国家公務員です。フランスに何年か語学留学してフランス語を身につけて本省に戻るわけです。
ノン・キャリアもいればキャリアもいました。
私はその人たちと仲が良くなってお友だちになりました。
でも、たとえノン・キャリアであっても、2~3年の留学中は、
国から「給料」が支給されます。
つまり「仕事」で留学し、「仕事」で勉強しているわけです。
彼ら彼女らの生活は、やはり豊かでした。ノンキャリでも、現地でクルマを買って乗り回していました。
毎日の食事にも全然不自由はしていません。でもこれ
全部税金ですね。


国家公務員初級や中級(当時)で入省した職員が、
同じ外務省から勉強のために派遣されたキャリア(国家公務員試験上級合格者・当時)の留学生に対する意識というものがどういうものかも、
この時初めて知りました。
ある中級の役人の女性(形はマルセイユの領事館付)は言ってました。
「私たちは、これで2~3年フランス語の勉強したら、そのあとは、アフリカのフランス語圏の国に赴任させられて、
現地の日本人駐在員の奥さんたちのお世話をするのが仕事になるのよ。
キャリアは本省に戻って偉くなるか、パリの大使館勤務の外交官になるかだけどね。」


さてしかし、たとえ留学中のノン・キャリアであっても、彼ら彼女らは、れっきとした
「外交官」です。
なので
「外交官用パスポート」を所持しています。

ある時、ノンキャリの若い男性の友人と、飛行機でパリに遊びに行きました。
パリから南仏に戻る時、ドゴール空港のセキュリティ・チェックのところで、
彼はうっかり飛び出しナイフをズボンのポケットにいれたまま金属探知機を通ってしまいました。
当然警報ブザーが鳴ります。ナイフを持って飛行機に乗ろうとしたのを見つかったわけです。
思えばこれは、とんでもないことですね。
当然大騒ぎになります。
彼は何人もの警官に囲まれて、どこかに連れて行かれました。私は一人取り残されて、いったいどうなることかと思いました。
でも彼は、ほどなく何事もなかったかのような顔をして戻って来ました。
「外交官用パスポート見せたら、何のおとがめもなくすぐに解放されたよ。」
私が同じことをしていたら、ひょっとしたら何日かは拘留されて取り調べということになっていたかも知れません。

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留学中は、貧乏旅行をよくしました。
春には学校を1週間サボって、ギリシアに1週間行ったりしました。
貧乏旅行なので、高いホテルには泊まれません。ツーリストインフォメーションでもらったホテルリストの一番下から2番目のホテルにしました。
「ホテル・マキシム」といいました。
1泊150円くらいでした。チョー格安宿です。
オモニア広場の近くでした。シャワーもトイレも共同の古いホテルで、夜になるとロビーには売春婦がたむろしたりしていました。
狭い部屋にベッドと洗面台があるだけでした。
そこに1週間いました。


日本人の新婚旅行らしきカップルやお金持ちの日本人観光客らが、きれいで立派で高そうなホテルに出入りしているのを横目に見ながら、
一日中歩き回って疲れた私は毎晩「ホテル・マキシム」に戻りました。
アテネ滞在中も、食事はスタンドのパンとかですませました。ちゃんとしたレストランには、高くて入れませんでした。

     
 アテネ  ミケーネ遺跡  スニオン岬


まだ春だというのにアテネは暑かった。ヨーロッパの源流であるギリシアなのに、アテネには半分アジアのような雰囲気がただよっていて、
フランスやドイツなどとは全然違う、アジア特有のある種の熱気も感じました。街全体にただようアジアのニオイ。そして雑然とした喧噪。
でもギリシアの1週間は刺激的でした。忘れがたいものがあります。
暑い日差しを避けてカフェの木陰のテラスに座って、よく「アイスコーヒー」を飲みました(100円くらい)。日本風のアイスコーヒーで、これはフランスなどでは見かけないものでした。
「アテネとアイスコーヒー」という記憶は、奇妙な思い出として残っています。

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アテネのツーリスト・インフォメーション(観光案内所)で、バックパッカーの日本人の男性と立ち話をしたことがあります。
20代後半くらいの青年でした。彼はこう言っていました。

「これからバスを乗り継いだりヒッチハイクしたりして、パキスタンを越えてインドまで行ってみようと思う。
でもアフガニスタンあたりはまだ政情不安で、どこまで行けるか分からない。
とりあえずカイバル峠を越えてパキスタン国境までは行ってみたい。」


世の中にはすごい人がいるものだと感心しました。
彼とはその場で別れたのですが、その後どこまで行けたのかは分かりません。
彼はあれから30年近くたった今、どこで何をしているのでしょうか?
日本で普通のサラリーマンやって家庭を持って、いいお父さんになっているのでしょうか?


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私もギリシアで出会った彼ほどではありませんが、日本に帰国する前の2ヶ月間、ヨーロッパの中をぐるぐる回りました。
毎晩ホテルに泊まるということは高くてとてもできませんでした。
ユーレイルパスを持っていたので、鉄道は乗り放題でした。それは簡易寝台(クシェット)も乗り放題だったので、それをホテル代わりにしたりもしました。
でも寝台列車なので、一泊するとかなりの距離の所に着きます。
なので、今日はベルリン、次の日はヴェネツィア、その次の日はパリ、さらにその次の日はマドリード、みたいな感じでした。

食事も、毎回レストランに入るお金なんてありませんから、駅の売店のパンとかサンドイッチとかで済ませました。
それでも財布の中が寂しくなってくると、その日一日は何も食べずにコーヒーだけ、という日もありました。




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